うん、そういうことですかネ

東ヨーロッパのとある国、農村地帯の中年の女性のお話。

「生活はラクではありません、しかし家族で助け合ってやっていますので、幸福です」
「いま、できることをせいいっぱいやり、あとは神さまの思し召し」

彼女のこころのあり方(精神状態)、これは日本の都市部で億万長者の財産がある人よりも、おそらくは大きく安定感があるのではないでしょうか。
身を委ねる(預ける)、これは当然、お金によりも運命にまかせた方が、安心感があるでしょう。

ときに、日本には「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。
たぶん、「人事を尽くす」これが、人生において最も大切なことであり、
「天命を待つ」という心持ち、これがこころの平安をもたらすのではないでしょうか。
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# by ryu-s1959 | 2017-07-25 20:26 | 語録、あるいは覚書

人生には成功も失敗もない

人生には、成功も失敗もないんじゃないかと、なんとなくですが、そう感じます。

*******

たとえば、仕事や起業で成功する、なんてことは確かにあります。
でもそれは、人生の成功とはまったく別の地平にあったりします。

大金持ちと結婚する。
これも、計画通りにうまくいってできたとしますと、贅沢三昧の日々が現実になってきます。
しかも、相手が死ねばなにもしなくとも、莫大な遺産が転がり込んできます。
いやいやオイシイ!
しかし、だからといってそんな人生がホントに成功かどうか・・

苦労して苦労して、絶世の美女と結婚しました。
それはそれは羨ましい。
人生、大成功ですね!
最初のひと月くらいは・・

*******

社会的な成功と人生の成功とは、もしかしたらまったくの無縁のものなのではないか。
そもそも、人生に成功・不成功なんてあるのか・・

人生とは、その人にとって必要な出来事を起こさせ、試金石とする、その劇場以外のものではない、そのようにも思えるのです。
ですからそこで起きる社会的成功や失敗、得した損した、嬉しい悔しいなどなど、それはプラスであってもマイナスであっても絶対値として等しく変わらず、ただにその人生に必要とされたファクターに過ぎないのかもしれません。

本当に大切なことは、その人その人本人の裡(うち)にある、魂のなかに答えはあるのではないでしょうか。

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# by ryu-s1959 | 2017-07-24 21:56 | 語録、あるいは覚書

ひとときの、遊民

また、ついつい来てしまう道志の森・西沢地区。
何故私はここへ来るのか?

ここは平日であれば、滅多に人が来ることのない、言わば特別な場所。



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世間では、家族が家族を殺したりしているらしい。
盤石にみえた安部ちゃんが、足元をすくわれているらしい。
北では、核兵器開発に躍起になっていたりしてるらしい。
トランプちゃんは、もうとっちゃらかったりしているらしい。

でもここでは、そういった世のてんやわんやからは隔絶されているかのように、ただ自然があるだけ。



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何故私はここへ来るのか。
私と社会をつなぎとめている、一切のしがらみから離脱することのできる場所だからでしょうか。

「それって、言ってみりゃァ現実逃避だよねェ」

「いや、えっと、その、あの・・、おっしゃるとおりで・・」
アタマをボリボリかきながらエヘヘ・・とヘラヘラ笑うしかないのですが・・

しかしではいったい、何のために逃避をしなければならないのか?



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もはや手の届かない処に行ってしまった、愛しい人たちと話をするためでしょうか。
自らの、深い部分と対話するためでしょうか。
宇宙森羅万象の深淵を、垣間見るためでしょうか。

それらは、社会的ないとなみからは完全に離れ、居る世界を峻別しないとできないものたちです。
ある意味、瞑想のためと云ってよいのかもしれません。

しかし私の場合、瞑想はやがて必ず酩酊にメタモルフォーゼするのですが・・
この予定調和だけは悲しいかな、悠久不変です。



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ここでは私は、いつも自分に問うのです。
「全体、私は何者なのか?」

夢の時空を旅するさすらい人か。
はたまた、ただのジャンキーか。

フーッと、では一服。



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ガマガエルくんが遊びにやってきました。
おいおい、そこはガシガシ燃やしてる焚き火台の下だぜ・・




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カメラの調子がよくなく、日付が違っていますが、正しくは2017/7/18-19です。


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# by ryu-s1959 | 2017-07-19 15:03 | 語録、あるいは覚書

二季(春と秋がない)

もう6月の時点から私は、
「秋はまだか~・・、アキはマダかあァァァ・・」と、唱えておりました。

来る日も来る日もネットリ暑く、息も絶え絶え・・
永遠に続くかと思われるような連日の寝苦しさ。

そして、ようやく涼しげな風がスゥ~っと吹くようになりますと、
「おおっしゃ~!オレの時代が来た~!!」となるのです。

しかし一週間ほど過ぎれば冬の足音が聞こえ、ようやく来た私の時代はすぐに終わってしまいます。

やがて冬が来ますと、毎日毎日早朝、湯たんぽを作る日々の始まりです。
永遠に続くかと思われるような湯たんぽ作成の毎日(私は湯たんぽ担当)。

そして、ようやく春めいた日差しが訪れるようになり、新緑がまぶしくなってきますと、
「おおっしゃ~!オレの時代が来た~!!」となるのです。

しかし一週間ほど過ぎれば暑さにやるせない日があらわれ、ようやく来た私の時代はすぐに終わってしまいます。
ほどもなく、
「秋はまだか~・・、アキはマダかあァァァ・・」

ふ、不毛だ・・
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# by ryu-s1959 | 2017-07-15 05:57 | 随感

お知らせ

HPに、愉和の操法の原理・手法の解説をすべて、余すところなくアップいたしました。
これは一般の方が、それを読んで実践できるよう、セミナーテキストのなかの一般向けとして使える部分を公開したものです。

ご家族やお知り合いがなにか病気や症状で苦しんでいて、だけどどうにもできない・・、というような方がありましたら、ぜひ参考にしてみてください。
トップページの下の方の「セミナーテキスト」からお入りください。

http://www.yuwa-seitai.net/kobetsu/030.html
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# by ryu-s1959 | 2017-07-13 09:25 | 整体のこと

バイバイ

母親は、娘を橋の欄干から落とし、死なせました。

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21歳のときに娘を産み、その後夫のDVがあって離婚。
その後、仕事先の相談相手の男性と同棲。
しかし娘は男性にとっては、まさにコブ。
その存在を疎むようになるのは自然の流れでした。

母親は、シングルマザーには戻りたくない。
とはいえ、娘の存在によって自分の立場も危ぶまれる。

努力はした様子はうかがえます、彼女なりに。
しかし限界に達し、思いつめるようになるのは時間の問題だったのでしょうか。
かくて母親は、車で娘を橋の欄干に連れていきました。

とはいえ私は、ここで母親の情状酌量をするつもりは毛頭ありません。
このニュースが頭にこびりついて離れない、そう感じたのは一見、奇異にみえる娘の行動があったからです。

*******

享年3歳(なったばかり)。

この年までは、親に甘えることが子どもにとっては第一です。
親がいなければ、なにをするにもどうともならないからです。
ギリギリ第一次反抗期があるかないか、というところでしょうけれど、娘は反抗期にはなかったようです。


娘には、母親の愛情はそれなりには伝わっていたでしょうし、同時に、内縁の夫との微妙な関係も気づいていたでしょう。
彼女にいちばん伝わってくるのは、まさに「母親が苦しんでいる」という事実ではなかったでしょうか。
その原因が、わけがわからなくとも、他ならぬ自分であること。
その様子を毎日見ていることは、おそらくは娘にとっては辛かったでしょう。

どうやら自分はからだも弱く、母親に面倒をかけていることも察していたでしょう。
自分が母親に手を掛けさせていることはすなわち、内縁の夫の機嫌を損ねることであろうことも。

*******

娘は、もしかしたら身を引こうと考えたのではないか。

彼女本人は、身を引いたあとは終わりではなく、もしかしたら安らげる世界が待っているという期待、もしくはなにかしらの確信があったのではないか。
これで自分も身を縮みこませなくて済み、母親も苦しまなくて済む、そんな安堵があったのではないか。

もちろん、これはただに私だけの妄想に過ぎません。

かくして最後に、自分も母親も辛いことから解放される安心感からかニコッと笑い、別れを告げた・・
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# by ryu-s1959 | 2017-07-05 20:23 | 随感

人はなぜ生まれてくるのか

たとえばエジソンとかの発明家であったり偉人であったり、「この人は人類に貢献した!」と言われる人たちがいます。
会社の社長になったり部下をおおぜいかかえて一大プロジェクトを成し遂げる人もいます。
それぞれの分野でも天才と言われ、たくさんの人々に尊敬される人もいます。

そんな人たちは、さぞ「よくぞ生まれてきた!」「生まれてきた甲斐があった」と自分でも思い、また人にも言われることでしょう。

でも逆に、才能もなく見栄えもよくない、人生ことごとくうまくいかなくて、あえぎながらなんとか生きている、なんて人もあるでしょう。
いやそれどころか、生まれて間もないのに親に虐待されて、人生の喜びも愛情も、なにも味わうことなく死んでゆく子供だってあります。
そんなニュースを聞いたりしますと、胸が痛みます。

人々に賞賛される人生だったら生まれてくる意味もわかるけど、苦しむことばっかりの人生、生まれてすぐに死んでしまう人生だったら、いったいなんの意味があるんだろう・・?
こう思うのは、ムリからぬ人情です。

一方でこんなことも言われます。
エリザベス・キューブラー=ロス博士の言葉で、「人生に偶然はない、すべて必要があって起こっている」
ある人の言葉ですが、「もしもなにもかもが順風満帆だけだったら、僕はこの人生でなにも学ばなかったことになるだろう」

こういったことを聞きますと、喜びや成功だけが人生の意義でもないようです。
こればっかりは、私たちの社会の価値観だけでは計り知れない深淵があるのでしょう。

どれだけ成功したかとかどれだけお金を儲けたとか、そういたことも喜びのバロメーターになったりすることもありますが、成功が人々のねたみを生じさせたりすることもありますし、お金が争いを生んだりすることもあります。

先人たちの智慧を借りてきたり、私のこの、たよりないなりの人生経験を積んだり見聞したりしてきて感じたことを統合しますと、どうやらそれぞれの「人生の意味を見つける」ことが大切なのかなァと、うすぼんやりと思ったりするのです。
それは必ずしも成功やお金の量とシンクロするものではなく、ときに失敗や挫折が必要な人生となることもあるのかもしれません。

栄光に包まれて人々の賞賛を浴び、大いなる価値ある業績、善をなした人の人生と、ともすれば人に無視され、うざったがられ、何らの価値も認められず、存在を否定されるような人の人生と、それぞれの人生の価値、その意味においては、いくばくもの違いはないのかもしれません。
人間社会の価値観というのはそこだけの狭く浅い地平の話だけで、深淵を見はるかすと、もしかしたら、もっとまったく異なった価値や意味が拡がってくるのではないかなァ、と。
えっ?私ですか? いやいやまだまだ五里霧中ですが・・。

*******

ある女性が子供を産みました。
そのとき、「あなたの子供はひどい知恵遅れであり、もっと言えば、一生あなたが母親だとはわからないだろう」、と告げられました。
その子は重度の障害児だったのですね。

それを知った夫は彼女から離れてゆき、かくて蓄えもないその女性は幾重にも苦しみを背負うことになりました。
当初彼女は神を呪い、世の中を呪いました。
あわよくばこの子供が、なにかしらの事故で死んでくれたら・・、などとも思うのでした。

後にその女性は大きく変貌を遂げました。
ロス博士の言葉を借りれば、そのことの意味を見つけたようです。
ときに、彼女が書いたという詩があります。少し長いですが、以下に転載してみます。

*******

お母さまっていったいなんだろう?
特別な存在だってことは分かるわ、わたしの誕生を何ヶ月も心待ちにしてくれたんですもの。

生まれたらすぐそこにいてわたしを見つめてくれたし、生まれて何日もたっていないわたしのおむつも取り替えてくれた。

初めての子供にはいろいろと夢があったことでしょう。
お母さまの妹のようにかしこい子で、学校に上がって、大学にも行って、結婚するのを見たかったことでしょう。

でもわたしはどうだった?
両親はわたしを生んでよかったのかしら?

神様はわたしに別の意味を与えてくださったのよ。わたしはわたしですもの。
わたしのことを誰一人、かしこい子と呼んでくれることはなかった。
何かがわたしの頭の中でうまく働かないの、でもわたしはずっと神様の子なの。

わたしは幸せよ、みんなのこと愛してるし、みんなもわたしを愛してくれているんですもの。
わたしが話せる言葉はあまりないわ。
でもちゃんと気持ちが伝わるし、優しい思いや温かさ、やわらかさ、愛情も分かるの。

わたしの人生には特別な人たちがいるのよ。
座って笑うこともあれば、泣くこともある、どうしてだろう?
わたしはとっても幸せだし、すてきな友達にも愛されているの。
これ以上なにを望むことがあるかしら?

あら、もちろんわたしは大学にも行けないし、お嫁にもいけない。
でも悲しまないで、神様はわたしを特別にしてくれたんですもの。

人を傷つけることはないの。
わたしはただ愛するだけ。
きっと神様は、愛するだけの子供が必要だったのね。

覚えているかしら、わたしが洗礼を受けたときのことを。
あなたはわたしが泣かないように、わたしを落とさないように、心配しながら抱いていたわ。
幸いどちらも起こることなく、幸せな一日だった。
だからあなたは私のお母さまなんでしょ?

あなたはとってもやわらかくて温かくて、愛を与えてくれている、でも、それよりもあなたの目には何か特別なものがある。
私は他の人からも愛を感じているの。
たくさんのお母さんを持った、特別な存在なんだわ。
世間でいう成功することはないだろうけど、ほとんどの人ができないことをやってみせるわ。

私が知っているのは愛と善と無垢だから、永遠の世界は私たちのもの、分かち合うことができるものなのよ。
ねっ、お母さま。

             エリザベス・キューブラー=ロス  死後の真実(日本教文社)より
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# by ryu-s1959 | 2017-06-30 20:39 | 語録、あるいは覚書

無題

本日(昨日か)、小林麻央さんが旅立たれたとのこと。
在宅になったということは、もう病院ではなにもやるべきことはないということなので、いつでもおかしくないということとは思っておりました。

海老蔵さんの会見は、リアルでは目にする勇気もなかったのですが、あとからニュース等で片鱗を見ることに相成りました。

彼の表情は、私が母親を喪ったときを思い起こさせました。
大切な人を亡くした、あの表情です。
しかし彼は、おポンチの私とは違い、しっかりとしていました。
そして「自分は変わった」、と、彼は言いました(ブログでかもしれないけど)。
それは真実なのでしょう。

生きることは、死ぬことでもあります。
遅いか早いか、の違いで。
遅い早いの違いに、優劣はなにもありません。
がしかし、早すぎる死もまた、どうしてもあると感じてしまいます。

何故か私は、一青窈の「ハナミズキ」を聴きました。
唄が染み込んできます。

涙が、流れてきます・・
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# by ryu-s1959 | 2017-06-23 18:47 | 語録、あるいは覚書

高千穂はスゴい!

ここは神さまが造ったんじゃないかと思われるほど、なにか意思を秘めたような造形、地勢があります。
よくは知りませんが、いわゆるパワースポットなのでしょうか。

実は、私はパワースポットと言われるところに行っても、だいたいなにも感じません。
霊感と言われるようなものもないですし。
ただ、ここは別でした。

高千穂峡もすごいのですが、平安河原の地勢もすごいと感じました。
平安河原は、神さまたちの会議室だったとのこと。

弟のスサノオがあまりに悪さするんで、天照大神はスネて天岩戸に隠れてしまいました。
そしたら世界から光がなくなり、暗くなっちゃったんで、「さァ困った」。
そこで八百万の神サマたちが集まって「そーだんしましょ、そーしましょ」と企画会議をしたのが平安河原ということらしいのです。

地勢もなにか迫るものを感じますし、おびただしいケルンもまた、物々しい空気を醸します。

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ときに、私は飛行機が嫌いです。
とはいえ、誰かのように「じぇェったい乗らない!」と言って、一生乗らないほどのものでもないのですが、できれば乗りたくない。
今回は仕方なく乗りました。

帰りの飛行機はけっこう揺れたのですが、私はゲンナリ。
羽田に着いて、私たち乗客が降りるのを並んで待っているあいだ、CAのお姉さんが優しく話しかけてきてくれました。

「こちらはもう気温が28度で、けっこう暑いようですよ~」
「お姉さんたちも、怖いことってあります?」
「ハイ~ありますヨ~」
「たぶん私は、その100倍くらい怖いと思います~」(ゆ、ゆるい~)
そのあとも、彼女はなにくれとなく話しかけてきてくれて、やさしさ満開。

おそらく、怖い思いをした可哀相なヲッサンだなと思って話しかけてくれたんじゃないかな。
でも前日も飛行機は飛んだとのこと。
前日は嵐のような天気でしたから、私はそれを考えただけで「しばらく飛行機はいいかな・・」などと思うのでした。

くわばらくわばら・・
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# by ryu-s1959 | 2017-06-23 07:06 | 随感

み・・、見ちゃった・・

「いつもいつもご苦労さまです。楽しんで、ゆっくりしてきてネ~。」
私はそう言って、奥さんを玄関で見送ります。
彼女は実妹と、近所ですが1泊で小旅行。

エレベーターに乗った奥さんを見送り、カチャッとドアを閉めて、私はくるっとターンし、そして身をかがめて拳を握りしめ、「おおっしゃ~!!」と、ガッツポーズ。
や~、なんとやらのいない間に洗濯だ~!!!♪

*******

さ~なに見よう。
いろいろ録画してあったのですが、「フィールド・オブ・ドリームス」を見ることにしました。

カーテンを閉め、部屋を暗くして、ヘッドホンをつけます。
ふだんは、こんなふうに見るなんて、なかなかできません。

そして見終わったあとは、私にベッタリの色白の愛人とひとときを過ごします。
胸はさわり放題、でもお尻はなかなかさわらせてくれません。
でも、いつも私にベッタリ。
とんだセクハラオヤジですが、しかもなんと彼女は未成年、いまはやりの不適切な関係というヤツでしょうか。

まァ、2才の白文鳥なのですけどネ・・

愛人をはべらせながら、2回前のブログを書きます。
しかしこの愛人は、どこへでもついてきます。
かわいいのですがけっこうウザい・・
大文豪である私が執筆をしているというのに、無視されてると思うと、コイツはいきなり大きな声で鳴いたりします。
「はいはい、すみませんねェ」

その後は愛人をケージに戻し、それでもまだ時間があります。

い、行っちゃおうか・・?
ええい!行っちゃえ~!

・・ということで、そのまま「飛び出せ!青春」を見てしまいました。
2話まで見たのですが、1話は記憶がありません。おそらく見逃したのでしょう。
2話は、よく憶えていました。

「私と高木くん、同じ屋根の下で暮らしているンです」
「ええっ!?」
一瞬、河野先生がギョッとした顔をします。
要は同じ木造アパートの別の部屋に住んでいるということなのですが、少年の頃の私には「同じ屋根の下」ということが本来どういうことを意味しているか、わかりませんでした。

河野先生が生徒の高木に、「すばらしいお母さんじゃないか!」と何度も何度も言いながら殴り倒しますが、ここは子どもの頃もいまも「じーん・・」とする場面です。

しばらく見れないと思っていましたが、み・・、見ちゃった・・
でもこの続きはどうしよう・・

奥さ~ん、また〇〇子ちゃん(奥さんの実妹)といっしょに泊まってこないかい・・?
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# by ryu-s1959 | 2017-06-12 09:11 | 随感