目の輝き

南米ボリビアのラパス。
通りすがりのボール遊びをしていた子どもたちにインタビュー。

サッカーのうまい子。
「将来はサッカー選手になって、貧しい子どもや女性たちを救いたい」
彼はそう言って、涙を浮かべます。

別の子。
「専門職について弟たちを助けたい」

他の子。
「建築家になって、壊れている建物を直したり、色を塗ったりデザインしたい」

みんな自分のためではなく、誰かのための夢を持っている。
彼らは志を持っていて、目が輝いている。
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# by ryu-s1959 | 2018-01-15 21:07 | 随感

オイラのハートがNOと言う

しらばくご無沙汰いたしました。

いえネ、(仕事以外でも)忙しかったのとYouTubeにハマってたのとで、更新が滞ってました。

しかしナンですナ、子どもが新しいオモチャを買い与えられて夢中になって遊ぶように、YouTubeで遊んでおったような塩梅で・・
しかも遊ぶのはタダ、ただビデオカメラを固定する三脚が必要でしたので、巨額の設備投資、約1800円也を費やしましたが・・

・・というわけで私のブログの70億読者には、たいへんお待たせいたしました。

なになに、オイラのハートがNOと言う?
なんかカッコいいんですけど・・

や、ジツは全然カッコいいもんじゃないのですけどネ。
何故かはわからねど、私は自分のハートがNOと言いますと、ホントにすべてNOになっちゃうンですね、なぜでしょう。

*******

私のご幼少のみぎり、5歳のときだと思います。
その頃、ピアノを習う子はけっこういたんですね、だいたい女の子なのですけれども・・

近所の仲良しだった友美ちゃんが始めたので、「友美ちゃんがやるんだったら自分もやる~」な~んて言ったんでしょうね。
かくて、私はピアノを習うことと相成りました。

まずはバイエル、最初はドレドレド~、みたいな感じです。
しかしだんだん音符が多くなってきます。

ピアノを弾くためには楽譜(要は音符)をぜんぶ読まなくちゃいけないことに気づくのには、さしたる時間はかかりませんでした(当たり前ですが)。

「そんならそーと早く言ってヨ~!」
「そんなの聞いてないからネ!」
と思いました。

や、自分にはムリムリ、そんなのやってらんない。
私は、すぐにやめると言いました。
ところが両親にとってみれば、ピアノだって安いもんじゃないし、「ふふ、ふざけんな~!!」という感じだったのでしょう、やめさせてなんてくれません。

バイエル、ブルグミュラー、ツェルニー、ソナチネなど、教則本が並びます。
ところが私のハートは、すでにNOの診断を下しています。
「ピアノのおけいこ」に対して、確固たる拒絶反応を呈してしまいました。

や、意識としては親の言うことを聞いて、親を喜ばせるために「やらなくちゃ」という気持ちはあるのです。
私は幼い頃であっても、人一倍親に報いたいという気持ちはとても大きかったと思います。
されど、されどからだが全身全霊、言うことを聞かないのです。

家で練習するとき、ムリしてやろうとしても、一向に前に進みません。
これには母親も、もどかしかったでしょう。
イライラが伝わってきますし、しょっちゅう怒られます。
怒られると怖いですから必死で謝るしかありません。
「一生懸命やります!」となだめるために平身低頭です。
しかし、からだは尚、頑として言うことを聞いてはくれません。

いつしか私はピアノの椅子に座ると、めまいがしてくるようになりました。
「目がまわる~」と言っても、通常そんなことあるわけないですから、そんなことでは容赦してくれません。

ピアノの練習は、あたかも地獄のようでした。
毎回、泣きの涙です。
当然のように、進みません。

ピアノの先生と母親との会話では、こんなものがあったそうです。
「龍太くんはネ~、才能はないみたいだけどネ~、せめてソナチネくらいはね~」

そのソナチネも、けっこう音符があるもんですから、まァ進まない進まない・・
私よりも年下の子が、流ちょうにソナタアルバムなんぞやってますので、さらにコンプレックスも上乗せされました。

私のピアノのおけいこ嫌いはもはやここに極まれり、という感じでしょうか。

*******

私は自分のハートがNOと言いますと、どんなに頑張ってもできないようです。
ネ、カッコよくないでしょ。

でも、YouTubeを聴いた方は、
「や、それでもかなりやることはやったんでしょ~?」と言います。

いえ、やっておりません。
やろうとしてもできないものですから・・

ただし、音楽はとても好きでした。
TV主題歌や歌謡曲、カンツォーネなど、たいへん心惹かれました。
唯一「ピアノのおけいこ」、これだけが受け入れがたいものでありました。

私は小学校を卒業し、ようやく晴れてピアノのおけいこをやめることができました。
この開放感といったら!
私はもう、鍵盤を見るだけでも嫌悪感が拭えない状態になっておりました。

*******

私が本当にピアノに目覚めたのは、高校生のときでした。
バンドを組んだのです。

当時はいまとは違い、バンドを組む人はまれでした。
「自分は将来、プロのロック・ミュージシャンになる!」そう、心に決めました(クラシックはもうこりごりだったので・・)。

実は私はピアノは下手くそでしたが、音感は小さい頃から飛び抜けてよかったのです。
ですから、ある程度楽譜を見なくても、コピーができました。
自分、もうこれで、このままでいけばいいんじゃないか・・?などと思ってもおりました。

ところが、です。
クラシックは難しくてロックは簡単と思っていた私は、「イエス」や「エマーソン、レイク&パーマー」を聴いて認識を改めざるを得ませんでした。
いやはや、それらの音楽はものすごい高度な技術を必要とします。

もはや耳だけで聴いてもコピーが追いつかないので、楽譜も買い、読みました(不本意ながら)。
指のポテンシャルを上げるために、最高難度のクラシックもやりましたし、自分なりの指の鍛錬もやりました。
そのときは、まるで鬼のように練習をしました。

ただ特筆すべきは、そのときの私は誰かにやらされたり、誰かの顔色を窺ってやっていたのではなく、ただ自分自身のために夢中になっていたというだけで、もはやハートのNOはあとかたもなく姿を消し、いや、逆にのめり込んでおりました。

自分のことをただ情けない存在としてしか思っていなかった私が、ようやく水を得た魚のように、生き生きと泳ぐことができるようになったのです。
それはあたかも乾いた大地に水が滲むごとくでした。

私は誰に習うこともなく、恐ろしい勢いで上達をしました(たぶん)。
音符ひとつ読むのも鍵盤をひとつ押すのも嫌だった私が、自分から進んで指をしごいたわけです。

そう、高校生だったあの頃、私のハートはもう全開、イケイケドンドンだったのです。
や、ついこのあいだのことなのですけどネ・・?

*******

私の時代は終身雇用、年功序列が全盛でした。
学歴重視の風潮が根底にあり、少しでもよい学校に行き、少しでもよい会社に就職する、これがよい人生を送るための前提という認識が、おそらくすべての人々に通底していたというふうに感じられます。

さて、では、そのためには、なにはなくとも勉強です。
テストで、少しでもよい成績を取らなければイケマセン。

ところが、です。
ここでも私のハートはNOと言います。

イイクニ鎌倉、1192鎌倉幕府成立・・
こんなことを覚えたって、なんの役に立つんだろう?

歴史をやったってなにも実感がともなってこない、地理をやったって、その地の人々がなにを想い、なにに悩んできたかが何も伝わってこない、算数や数学、理科や化学をやったってなにに役に立つのかわからない。
生きた学びの感覚がなにもない、殺伐とし、荒涼としたのっぺらぼうの平面ばかりが感じられました。

でもそれが当たり前の世界であり、その環境に順応することが将来のためには必要であり、しかしてそれがために感覚を鈍磨させることが最重要課題!
いやや、そんなことは、自分には到底できそうもない・・

ところが日々思うのは、みんな表には出さなくても将来のために勉強している、自分も絶対やらなくちゃイケナイ!ということばかり。
しかし机には向かうものの、すべて頭を素通りしていく・・

親も私をもどかしく思ったと思うのですが、自分でも情けないくらい勉強することができない。
授業の体制や教諭の教え方の問題も、もちろんあると思うのですが、当時の勉強の内容には、全身全霊で拒否反応がありました。

*******

小学生のとき、先生などから「清水くんの両親は東大なんだから、頭悪いわけないのよ」などと何度となく言われたりしました。
これもたいへん嫌悪感がありました。
私のコンプレックスに、さらに輪を掛けるものとなりました。

トーダイと言われても、ピンときません。
聞くと、「日本でいちばん頭のいい人が集まる学校」というようことらしい。
自分には、トント縁の無い世界にしか感じられません。

母親が、「学校でテストがあるのが楽しみで仕方なかった」などという言葉を聞きますと、どうかしてるんじゃないかと思いましたが・・
でも、毎回テストでいい点を取る生徒もいて、そんなにいい点ばかり取れるんだったら楽しいかもしれないなァとも思いました。
しかし、そうなるすべが私には皆目ないのです。

親や先生からどんなにハッパをかけられても萎縮するしかない自分だけがあり、そんな自分が哀れで、また親にも申し訳ないという気持ちがいつも、ありました。

*******

いまは、すべてわかります。
私のハートはNOと叫び、全人格を賭して拒否をしていたのです。

これは一見、サボっているというふうにも見えるかもしれませんが、おそらく違います。
なぜなら、あんな辛い思いをするなら努力した方が何倍もラクだと思うからです。

言葉を替えて言えば、社会適合能力において著しく劣っている、ということにもなりましょうか・・

でも、モチベーションがあれば、そんな私でも力を発揮することがわかりました。

プロのロックミュージシャンを目指していたとき、私は輝いていました(たぶん)。
会社に入って書店の棚で時代を表現しようとしていたとき、出版社の人にも作家にも、そしてお客さんにも大きく支持され、売上も大幅に伸びました。

一方、楽しくないピアノを習っていても、魂に響いてこない勉強をしていても、ただ人の評価や管理をするだけで志のない仕事をしていても、どうにもからだが動いてくれません。
それは、私のハートがNOと言っていたからなのです。

いま、私は自分のハートがNOと言うことはやりません。
もう、そんな生き方をしても赦されるでしょう。
これは仕事でもそうですし日常生活でも同じです。

会社員時代、不本意なこともしなくてはなりませんでした。
企業は当然、営利が目的です。
給料をもらう立場ですから、そのためにはあざといことだってやらなくてはなりません。

いまは仕事において、不本意なことはなにひとつやらずに済みます。
儲けを犠牲にすることも、あります。
あざといことなど、一切やらずにいてもどうにかなっています。
精神衛生上、とてもよい。

いま昔日を思い返してみれば、損をすることがわかっていても、どうしてもやらないではおれないことも、いくつもありました。
そんなことさえしなければ、もっとお金は貯まっていたでしょう。

しかし時が経ってみれば、その行動があったために心の平安があります。
心の平安、これはお金には換えられません。

ハートの声、それは自分自身の魂が迷わないために、安全に航行できるために教えてくれる羅針盤のようなものなのだと、いまは思います。

*******

最近はYouTubeなんぞやっておりますが、実はあれはほとんど演ったことのない曲ばかりです。
演ってみたいな~、演ったら愉しいだろうな~、というものだけ演っています。
ですから久保田早紀は演るけど「異邦人」は演らない、五輪真弓は演るけど「恋人よ」は演らない、なんて塩梅なのです。

やりたくないことはやりませんから、絶えて楽譜を読むなんてことはなく、練習なんかは録画一時間前の音合わせだけです。
もちろん、もしも自分がプロだったら楽譜も読みますし、練習だって進んでします、それはプロとしての責任ですから。

いまの自分の生業は整体ですから、自分の持つエネルギーはそちらにすべて捧げます。
ただしこれとて、口をへの字に曲げて苦悶の表情を浮かべてやるのではなく、屋号のごとく、愉快に調和することが前提であり、究極の姿であるべきものです。

というわけで音楽にかけるべきエネルギーは残っていないというのも一面真理ですが、プロではない分、愉しく演奏できるのではないか、とも思うのです。

さらに言えば、僅かばかり残った狭小なエネルギーを使って演奏しているということはサラサラなく、逆にエネルギーを湧かせるために音楽をやっていると言ってよいとも思います。

つまり生業とは抵触しないのです。
むしろ高め合うことができるものと言ってよいでしょう。

ときに、愉しく演奏するには、執拗な練習はかえってモチベーションを下げてしまいます。
もちろんプロであれば練習は必要でしょうし、売上や社会的評価を気にしなければなりません。
それはただに、プロの愉しくない部分でもあります。
愉しくなくてもやらなくちゃイケナイ。

私は愉しくないことは一切しない。
ですから、愉しさという意味では、プロのパフォーマンスを凌駕する場面だってあるのではないかと、ひそかに思ってもおります。

私は、愉しいふうにしか(音楽でもたいへんなことでも易しいことでもなんでも)やらないでしょう。
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# by ryu-s1959 | 2018-01-03 21:35 | 語録、あるいは覚書

セルフ・セービング・フォース

テキトーな造語ですが、訳しますと、「自分を守る力」ということになるかと思います。
これには、ざっくりとふたつの側面があります。

ひとつは、これは誰もがわかると思いますが、「経済的な力」です。
財力で自分を守ることができる、これはたいへん心強いことで、もちろんこれはこれでとても大切な事項です。
しかし、これがすべてだと勘違いすると、可笑しなことになってしまいます。

たとえば、小さいときから勉強を仕込まれ、よい成績を取ってよい大学に行き、よい会社に就職する、というような理想のコースがあります。
目標としては、社会的地位の確立と潤沢な経済力ということになりましょうか。

周囲の期待に応え、よい会社に入り、順調に昇進して、きれいな奥さんをもらい、利発な子どもをもうけ、誰もがうらやむ家庭環境を築くかもしれません。
そのように社会的に評価の高い地位と立ち位置につくことにより、さまざま社会的問題に対して解決する力をはぐくむことができるわけです。

ところが、です。
得てして、そのように順風満帆な人生を送ってきた人ほど、はじけたりしてしまいます。
ある日、置き書きで、
「旅に出ます、探さないでください」
な~んて。

これはどういうことかと言いますと、要はその人は、「自分の人生を生きてこなかった」のです。
社会的な上位を目指すことに終始し、自分自身に落とし前をつけることを怠ってきたというわけなのです。

よく、成功者が晩年に、「自分はこんな生き方をしたかったンじゃない」ということを口にすると言います。
皆が認める成功者が、人生に後悔をするのです。
これはつまらない。

*******

ではもうひとつの「自分を守る力」とはどのようなものでしょうか。
それは直裁に言いますと、「自分がしたいことをする力」ということに尽きます。

「自分がしたいこと」とは、あくまでお金を湯水のように遣うというようなレベルの低いことではありません。
贅沢をするというような低次元の事柄ではなく逆に、まさに「自分の魂が望むことをする」ということ以外のものではありません。

たとえば「自分への投資」ということがあります。
自分がしたいことをする人というのは、自己投資に力を注ぐ傾向があります。
これは一見、ムダなことのように思えたりすることがあるのも事実です。

映画を観まくる。
利便性のある場所に住んでいるにもかかわらず、お金はかかるけれども敢えてひとりで暮らしてみる。
人が注目しないことに熱中する。
世界を放浪する。
いささかも得することはあり得ないけれども、惹かれて身を投じる。
損するとわかっていても、やらないではおれない。
などなど・・

周りから見れば、あるいはバカな人間かもしれません。
しかしながらこうした生き方をしてきた人ほど、人生に対する満足度は高く、後悔は少ない。

*******

もちろん、バランスは大切ですヨ。
自分の好き勝手放題やってきた挙げ句、自己破産してしまえば単なるおバカちんです。

さりとて向こう見ずに行動することが必要となることもあるでしょうし、計画も立てた方が実現が近づくこともあるでしょう。
ただしやはり計算高すぎると、魂の望むものを見る目が曇ります。

そこはそれ、魂からの直感を感じることが第一ということなのでしょうか・・
後者の方は、「自分の魂を守る力」といってよいのかもしれません。

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# by ryu-s1959 | 2017-11-20 21:27 | 語録、あるいは覚書

愉和 音楽館 新曲アップ

私のブログの一億読者のうち、数名の方は待っておられたのではないでしょうか・・(?)

*******

ときに久保田早紀、この名を聞いて「異邦人」を思い起こす人は多いでしょう。
しかし、他の曲を思い出す人はなかなかいないのではないでしょうか。

彼女は現役時代、アルバムを7枚出しています。
実は、私はすべて買いました。
あの、久保田さんのエキゾチックでロマンチックな世界のファンなんですね。

本当は、彼女には名曲がザクザク隠れているのです。
そのうち、ほんの2曲ほどアップしました。

*******

また本日は、父親の七回忌となります。
父を想って即興をやりました。

ホンの少しでも供養になればよいのですが・・

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# by ryu-s1959 | 2017-10-25 15:36 | 随感

ロールケーキについて、一家言持っちょります

私がご幼少のみぎり、いちばんの天国を味わえるのは、不二家のモンブラン、もしくはショートケーキでした。
でもそれらは、例外中の例外。
日常的にそれらを食べるということに、あまり現実性はありません。

私が手に入るMAXイクスペンシブのスイーツ、それはチョココロネ、もしくはチョコデニッシュ。
メジャーなのはコロネですが、ジツは私としてはデニッシュの方が食感的に好きでした。
なにはともあれ、これでも充分なご馳走。

しかしたまさかヨックモックのシガーなぞ、どなたからでももらえたもんなら、「ウッヒョ~!」と、飛び上がるほどうれしかったものです。

しかし取り急ぎ、いまはロールケーキのお話です。

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いやいや、ヲッサンは近頃嘆いちょります。
は?なんでかって?
ロールケーキのことですよ、これは深刻な問題です!

なんでも最近は、ドーナツのごとく周縁がカステラがただ一層になっており、真ん中の穴にはクリームがドボッと固まってあるのが流行ってるそうな。

イカン!
それはイカンですよ!

それだったら不二家のショートケーキの方が、イチゴもあるし、いいじゃァないですか!
カステラを固まりで、クリームも固まりで食べて、それで貴方はいいんですか!?
・・まァそれでも確かにそれなりに美味しいでしょうヨ。

でもネ、1㎝ほどのカステラが渦を巻いていて、その際(キワ)に薄くクリームが塗ってある、、、そうそう、これです、これなんですヨ!!
クリームがダボッと口に入る、これは風情がありません。
あくまでカステラが主食であり、クリームは副食なのです。

ロール状になったカステラをチマチマと剥がしていく感覚で、さらにそこに薄く付着しているクリームを一緒に食べる、ここ、これこそが典雅なるロールケーキの醍醐味、そして白眉ではないですか!
そこでヤマザキのロールケーキですよ。
残念ながらいまはもう、見かけることもありません。

そう、あの外縁は文明堂のカステラの上に張り付いているような茶色のものがついていて、中はカステラ、そうして幾重にも巻かれたカステラのあいだに、薄く塗られたクリーム。
これこそが最上のロールケーキ!

いわゆるケーキという高級食材という分類からは離れ、意外と庶民的で手に入りやすい面もあるけど、さりとて物凄い美味しいロールケーキは、私にとって大ごちそう。
往事、あのヤマザキの袋を見るだけで私の脳は、もうアルファー波が出まくりでした。

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いまは子どもたちでもケーキなぞというものは、ただのおやつの一種かもしれませんが、私というヲッサンのご幼少のころは、とてつもない喜びの食べものだったのです。
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# by ryu-s1959 | 2017-10-24 18:40 | 随感

すべてはアレルギーなのか

アレルギーの本質、それは「過敏になって混乱する」ということです。

しかしてその実態は、A地点にいる人が引っ張って、B地点にいる人が引っ張られて困惑(過敏になって混乱)する事象です。
それはある意味、すべての病気症状に通ずるものでもあります。

*******

腰痛は、どこからか引っ張られて腰に歪みが生じ、過敏な症状が出ることを言います。
肩こりは、やはり引っ張られて肩に張りやコリが生じることを言います。
心臓病も、同じく引っ張られて心臓に圧迫が生じることを言います。
ぜんそくは、胸骨が引っ張られて気管支が過敏になって混乱することを言います。
自己免疫疾患、これは免疫システムに圧迫がかかって細胞が混乱してしまう状態を言います。
頭痛も、頭部にテンションがかかってこわばって過敏になったために起こります。
膠原病も、生体システムにテンションがかかって血液に炎症が起こったり、結合組織が過敏になって混乱することを言います。
ガンも、細胞組織にテンションがかかって過敏になって混乱することを言います。

してみますとある意味、すべてはアレルギーなのではないだろうか・・
逆に言えば、引っ張っている大本を正せばよいというお話にもなりましょう。

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# by ryu-s1959 | 2017-10-23 18:23 | 整体のこと

〇〇〇の時間

野宿ライダーの寺崎勉さんという方があります。
私の憧れの人でもあります。

寺崎さんはオフロード(林道)を走り継ぎ、山の自然のなかで野宿するというスタイルのツーリングを長いことされてました。
私の、ノマド的放浪体質とシンクロすることしきり、です。

デコボコの林道を走り、雨に打たれ、風にあおられ、ようやくたどり着いた野宿地は、ド山のなかの空き地などなど・・
要は、人目につかない、人家のまったくない、いわばウイルダネスのまっただなかが寺崎さんの栖(すみか)と言ってよいかもしれません。

褥(しとね)をしつらえ、あとは寝るだけの状態にしたのち、ようやく迎えるビールのお時間。
寺崎さんはそのときを、「ビビビの時間」と呼んでいたそうです。

なぜに「ビビビの時間」か・・?
たとえば悶絶したあげく、絶命手前でのいまわの際で呻く一言、
「ビビ、ビ、ビール・・・・」
もちろんこれは、ただに私だけの妄想に過ぎません。

*******

ときは流れ、世に発泡酒というものが出回りました。
あっという間に蔓延。

発泡酒の方が安いですから、寺崎さんもそちらに移ります。
かくして寺崎さんの「ビビビの時間」はいつしか、「ポポポの時間」になったそうです。

*******

さらにときは流れ、第三のビールが出回りました。
たぶん、さらに安いのだと思います。

ここで不肖ワタクシ、日々摂取するアルコールは、やはり純正のビールにすることができるような高尚な身分ではなく、第三のビールを愛飲しております。
ですから日ごろ仕事が終わったときに迎えるのは、「サササの時間」。
「サササの時間」が、私の憩いのひとときと言ってよいでしょう。

ただし、です。
年に数回(もっとかな・・?)、超高級リゾート地(自然だらけの格安のキャンプ場)に行くときだけは、ヱビスビール、もしくはプレミアムモルツを1本買ってゆきます。
「プププの時間」と言ってよいでしょうか。

水場もなくトイレも工事現場にあるような簡易なものがひとつポツンとあるだけで、あとは照明もまったくない、めいっぱい自然の豊富な(自然しかない)場所でゴージャスな別荘(超安テント)を張り、しかして「プププの時間」をめでたく迎えるのです。

*******

私は若い頃、ものすごい野心家でした。
野望がいくつもギラギラと渦巻いておりました。

いまの私の野望は、「プププの時間」を迎えることくらいかなァ・・
あとは、仕事を減らすことかなァ・・
ラクすることしか考えてない・・

*******

「ビビビの時間」が「ポポポの時間」になり、やがて「サササの時間」となって「プププの時間」になるというお話でした。
や~相変わらず順調にバカっぽいですなァ・・
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# by ryu-s1959 | 2017-10-05 21:30 | 随感

愉和 音楽館のこと

あらためて聴いてみますと、どれもなにかしらやらかしてますねェ・・
まァ、練習もしないですし完璧なものを撮ろうというモチベーションもないものですから、ムリもありません。

白い愛人と演ってるのを除いて、他すべて1時間内に撮ってますから、ほぼ1回撮りの集まりです。
画面の右上にある時計を見ると、一目瞭然ですナ。

ときに、未成年の白い愛人よ、キミねェ、人が一生懸命演ってるのに、アクビは失敬じゃないかね?
トッカータとフーガやってるとき、キミ、退屈そうにアクビしてたよね・・?

かようなyou tubeに、なにやらチャンネル登録してる奇特な方がいらっしゃるようで、しかもこれから増やしていく気持ちも大してないので、非常に恐縮してしまいます。
とはいえまず私からして、そもそもチャンネル登録というものが何を意味するのかよくわかってないんですけどネ。

*******

今後、もし増やすとすると、一度「無伴奏チェロ」をきちんとピアノでやってみたいという気持ちがあります。
私のは、「感じるままに」と言いつつ、ハープの演奏の感じを出したくなったので、いきなり曲が変わっちゃってる形になってるので、バッハのファンの方からは「ふざけるな!」とお叱りを受けそうな勢いです。

さて、無伴奏チェロをどう演るか・・
チェロの譜面通り、きっちり演るか、それとも若干音を増やして重厚感を出すか・・
などと思いつつ、無伴奏チェロのピアノのyou tubeを見てましたら、「末次克史」さんという方のが出てきました。

これは左手だけ、譜面通りという形ですが、これが素晴らしい。
彼の、他のバッハのパルティータの曲も聴きましたが、いやいやビックリ。
これだけバッハを叙情的に弾いて、しかも嫌み無く綺麗に表現できた演奏は、これまで聴いたことがありません。
もちろん録音もよいのでしょうけど、いやいや美しい!

う~ん、、、もう私が無伴奏チェロを弾かなくてもいいかも・・
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# by ryu-s1959 | 2017-09-30 11:49 | 随感

蒼い夏

遠い記憶をたどっていきますと、幼い頃の夏はなぜか、どこか青っぽいフィルターがかかっています。
その追憶はいつも再現できぬもどかしさに溢れ、胸の奥に軽いうずきを覚えます。

*******

ニイニイ蝉がたくさんいて、アブラ蝉はその次、ミンミン蝉はちょっとあこがれでした。
カブト虫なんて捕ったらもう、天下を取った気分。

木造の小学校の、蝋(ろう)を引いた黒い廊下を突き抜けると暗い理科室があり、そこにある人体模型は色とりどりの臓器を晒しておりました。
胆だめしにも使えそうなその空間に、私は怖れを感じるとともにどこか幻想的な、異界への入口もありそうな雰囲気に惹かれもいたしました。

ふと拾ってみたガラス瓶の破片で自分の指を切ってみて、ひとすじの血がタラリと流れてきたとき、はじめて痛みを感じました。
でも存外へっちゃらで、痛みには鈍かったような気がします。

あのときの自分は、どこへ行ったのだろう・・
いや、「いま、ここにいる」のも事実。

ただ・・ いまの自分は蝉を見たって欲しいとは思わない。
見世物小屋があったって、「ああ、作り物だ」と思ってしまう。
まして、自分の指を切ってみようか、なんて絶えて思わない。
でも、「あのときの自分」、「あのときの心持ち」はまぼろしなどではなく確実にあって、いまも胸の奥で生き続けているのです。

*******

ところどころニスの剥げた足踏オルガンの蓋を開いて二度三度、濡れて音の出ない鍵盤を奏いた。
あの日のままの席順に木椅子は睡り、睡りのなかでときおり軋る。

薄荷の匂いに混じって薄桃色の匂いが籠って酸っぱく醗酵してゆくようだった身体検査の日の保健室。
硝子に遮蔽された奇妙な植物の目だたない快楽の色。

破船の一室に航海の幻が青い滴となって一点に滲むように、はるかな夏のまぶしい木霊が一瞬しんとした校舎と共鳴し、いっせいに校庭のヒマラヤ杉の梢に蝉が鳴きだしたようであった。
だがそれはまだ清潔な理科室の蛇口から水が一滴落ちただけのことにすぎないのだった。 

               淺山秦美 「午睡の翅」より
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# by ryu-s1959 | 2017-09-13 13:39 | 随感

尋ね人

先日、逆流性食道炎の方からご予約の申込みがありました。

*空腹時に喉のつかえ
*内視鏡検査で噴門の3分の1が赤くただれている
*内科、針、整体をしたが変化がなく、困っている

とのことです。

できることなら、私もなんとかして差し上げたい。
しかし、お名前からアドレス、ご連絡先まで、すべて空欄。
私の方からは連絡の取りようがありません。
困った・・
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# by ryu-s1959 | 2017-09-10 13:51