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「失われた街」探偵局Ⅺ セゾン文化

渋谷は当時、ざっくりと分けますと、西武の文化と東急の文化のふたつが拮抗していたと言ってよいでしょう。
ただ大勢としては、西武のセゾン文化の方が圧倒していたと思います。

「不思議、大好き」
「おいしい生活」
言わずと知れた糸井重里さんのコピーですが、このあたりは、懐かしく感じる方もあるのではないでしょうか。

セゾン文化としては公園通りのパルコがあり、基幹となる渋谷西部百貨店のA館B館、そして当初は新C館と言ってましたが、後にSEED館とLOFT館に変わり、最先端のファッション・雑貨などを揃え、ますます勢いをつけて君臨しておりました。

しかも、百貨店でもありながら文化事業もやっていたのです。
通常、デパートの催事といえばバーゲンが一般的かと思いますが、渋谷西武は文化催事をメインにやっていました。

写真家の新しい写真集が出れば、写真展。
エイリアンのデザイナーのギーガーを呼んで美術催事。
著名な画家の絵画展。
などなど・・

しかもほぼ、本人が催事場に来るのです。

それに加え、催事開催の前日、百貨店閉店後には業界人を招いてレセプションを開催するということもやっておりました。
いわゆる、きらびやかな有名人がおおぜい集まるパーティーです。

それは、ときにはにわかバーとなって、シャンパンやらおつまみやらが出てくることもありました。

写真家であれば篠山紀信さん、アラーキー他、他にも手塚理美さんなどの女優さん、沢木耕太郎さんや島田雅彦さんなど売れっ子作家多数、カリスマ画家の金子國義さんなど、まさしくその時代のマジョリティが集積したのです。

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しかし、アンタはなぜそんなにセゾン文化のことを知ってるんだ?という疑問が当然、出ると思います。

実は私は、セゾン文化の渦中、しかもそのほぼ中心にいたからです。

私は渋谷西武の書籍売場におりました。
隣にはWAVE(レコード屋)があり、店頭のビデオではマイケル・ジャクソンがよく流れてました。
スヰングの項で紹介した、ヘンタイ君もここにいました。

また専門書籍店(テナント)もありました。

*ぽるとぱろうる
ここは詩の本専門で、詩、シュールレアリズムからオカルティズムまで揃えてあり、言わば私の理想とするような書店でした。
店主小林さんは剛胆な方で、ある意味、ケツの青い私の師匠と言ってよいような方でした。

*カンカンポア
こちらは洋書専門。
店主永江さんは、言わずと知れた現在活躍する売れっ子ライターで、本も出してます。

私は、一介の書店員ではありますが、文化催事があるときは、よく販売促進部と共同でイベントを進めておりました(要は、駆り出されるということですが)。
打ち合わせ、進行のシミュレーション、私はすべてがつつがなく行くよう、綿密に準備します。
私は各部所に人脈のパイプを持っており、売場移動やリニューアルの際なども根回し、段取り、なんでもやったのです。

そして催事前夜のレセプション、私は本の販売もやれば、バーのボーイもやらされ・・いや、やりました。
そのときは目の前を、テレビでしか見ないような有名人が行ったり来たりします。
きれいな女優さんもいます。

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たぶん、ふつうだったら表向きは華やかな仕事で、誰もが喜んでやるかもしれません(内容の綿密さは求められます)。
ただし当時においての私の思うところでは、セゾン文化というのは一種のスノビズムであり、資本とメディアの傀儡(かいらい)以上のものではないという評価が先に立ち、実のところはネガティヴな感情が底流に流れておりました。

レセプションではさまざまな業界人というのでしょうか、テレビで見たことのある人も含め名刺交換をしたり、ハグしあったりしています。
私はその様子を、相当に冷めた目で見ていました。

それらのイベントは、ときに、単にチャラチャラしてるようにも見え、若かったからでしょうか、こんなの反吐が出る、なんて思ったこともありました。
だからこそ、そこから逃れるようにして、百軒店の方に流れ着いたようなものでもあるかもしれません。

とはいえ政策や交流、折衝など、会社人として大切なことも学べましたし、仕事としてつまらないなんてことは決してなく、否いろいろな世界を見ることができ、さまざまな刺激を受けることができ、楽しいことも多くありました。

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ときに、百貨店の催事としては大小さまざまありましたが、私がいまでも覚えているものを幾つか。

*トランペッター近藤等則さんのゲリラライブ。
これが、ホールとかではなく、商品管理の小ぎたない荷物搬入所のスペースを使ってやりましたが、しかしながらこれが非常に雰囲気があって、なかなかアングラ風でよかったのですね。

*吉増剛造さんの詩の朗読と、富樫雅彦さんのドラムのコラボレーションという、異色の組み合わせ

富樫さんは知ってる方は知ってると思いますが、下半身が不自由です。
ですから、バスドラはありません。
非常に、繊細なパーカッションを奏でます。

私が印象に残っているのは、パフォーマンスが終わり、荷物搬入のエレベーターを使って車椅子に付き添っているときでした。

富樫さんが、
「・・昔の匂いがする・・」、と呟きました。
荷物搬入のエレベーターはお客さんが使うものではありませんので、メンテナンス以外はなにもしていません。
そこで衣料品から食品関係まで、あらゆる荷物を運びます。
でもそのあと、もちろんなにもしません。
要は、クサい、のです。
でもいろいろなものの混じった混沌としたそれは、どこかなつかしい匂いでもあるかもしれません。

そして閉店後のWAVEを通るのですが、富樫さんは「見たい」と言い、しばし見ていましたが、「これが欲しい」と言って、マントヴァーニのCDを差し出しました。
WAVEにはもう誰もいませんでしたので、私がたてかえておきました。
富樫さんは、少しだけ、うれしそうだったような記憶があります。

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書籍売場では、当時あった雑誌社の関係で、毎週サイン会をやっていました。
でも、そこは感度の高い渋谷のお客さん、そうそう毎回集まるわけではありません。
雑誌の連載やってる作家、本は売れてる作家でも、意外と集まりません。

そうしますと雑誌社のスタッフから、
「清水さ~ん、悪いけど、またサクラ集めてきて~、お願い~」
「え~!!?ま~た~?」

こんなことは日常茶飯事です。
それで私は自分の人脈のかぎりを尽くし、集めてきます。

当時私は各フロアー、管理部門(商品管理、経理、総務、販売促進など)に仲のよい子がいて、片っ端からアタックします。

「ね~加藤(仮名)ちゃ~ん、私服着て、サクラ来てくんない~?頼むヨ~」
「誰が来んの~?」
「〇〇ちゃん」
「え~〇〇ちゃん~?ヤだ~」
「そんなこと言わないでサ~、お願いっ!」

こんなアホな会話を、なんかしょっちゅうやってたような気がします。
愚鈍な私も、さすがにあァんなヤツらのためにサクラ集めなんてバカバカしい、もうやめっ!、なんて思ったりするのですけど、実際その場で書籍販売するのは自分なので、お客の閑散とした場にいるのも間がもたなくて、身の置き所に戸惑います。
そこへ行くとスタッフは手馴れたもんで、やはり私より上手です。

このサイン会は、西武のレストランのバンケットルームで行われていました。

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それにしても、当時の西武はずいぶん有名人が訪れました。
ざっと覚えているだけでも、細川俊之さん、宮崎美子さん、原田知世ちゃん(知世ちゃんはかわいかった~)、島田久作さんなどの面子がありました。
宮崎美子さんは接客したこともありますが、とても腰が低かったですね。
まだまだあるのですが、あまりそちらの方面には関心がなかったので出てきません。

また会談などにも、坂本龍一さん(「戦場のメリークリスマス」の頃でオーラがものすごく、カッコいいナ~と思いました)や日比野克彦さん、島田雅彦さんが訪れたりしました。

日比野さんで思い出すのは、会談で時間が過ぎても相手が現れなかったときがありました。
ふつうだったらイライラしてもおかしくないのかもしれませんが、日比野さんは違いました。
「まだ〇〇さん、来ないようなので、始めちゃいましょー、ボク、しゃべってていいですか?」
やー、イイ人だー、と思いました。

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私のオン・デューティーは、ざっとこのような塩梅でした。

こころのどこかで、「自分のいるべき場所はここじゃない!」と思いながらも、仕事の勘所がつかめてきて面白さがわかってきたり、女性の多い百貨店の世界で、けっこううまく立ち回っている自分がいて、しかもそんな自分に戸惑いを覚えたり、フクザツでした。

あの頃、自分のなかでは、仕事(オン・デューティー)は生活のために不本意な行為を、致し方なくおこなっているかりそめの姿以上のものではなく、それ以外、百軒店にいるとき等が価値ある創造的な本当の姿だと、明と暗のごとく二元論的に思っていました。

しかしヲッサンになってしまった現在、それらはすべて同じ地平線にあり、いまとなってはすべてがまぶしく煌めいて、そこに在ります。

たぶん、私はあの頃の自分とは、変わったのでしょう。
では、なにが変わったのか。おそらく・・

変わったのは、価値観なのだと思います。
かつて、否定的にしか見なかったものを、肯定的に見られるようにもなったこと。
もっとも大きなものは、失った事項の比べようもない総量なのかもしれません。

変わらないのは、おそらくは理想。
審美眼や調和への感性は、さらに磨かれたのではないかと思うのです。

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「失われた街」とはなんだったのか。

大正時代、関東大震災の後に、あたかも蜃気楼のように立ちのぼり、いっとき栄えて寂れていった、かの歓楽街のことなのか。

東京オリンピック前夜、ジャズ喫茶ひしめく百軒店で繰り広げられたであろう青春の蹉跌のことなのか。

それとも、自分自身がかつてそこに暮らし、空気を吸い、体感した、もう戻らないあのときの街のことなのか。

いやいや、もしかしたら失われてしまった、しなやかで俊敏なみずからの肉体の持つ、街への感性なのか。

あるいはあのときの自分の人生にかかわった、いまはもういない人たちへの挽歌なのか。

・・たぶん、それらすべてなのだと思います。

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「失われた街」探偵局は、ここで閉幕と致します。

いやいや、いつのまにか連載のようになってしまい、そのときどきのことを思い出しては、忘れぬうちに記しておかねばと思ったりしているうちに、最後まで到達しないと落ち着かなくなり、一気に書き上げてしまいました。

このブログの、一億読者のうちの数名の方から有り難い感想などいただき、後へは引けないナ~、と。
年内に終わって、とにかくホッとしました。

記憶を頼りに書きましたので、ひょっとしたら細かい思い違いもあるかもしれませんが、そこはご寛容いただければ幸いです。
今後はまた、ふだん通りゆるゆると、まァ皆さまに忘れられない程度に・・
by ryu-s1959 | 2015-12-30 06:47 | 「失われた街」探偵局


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