ピチピチギャルたちの誘いも、南沙織さんの誘いも振り切り(?)、今年最後の道志の森にやってきました。 や、でもわりかしキャンパーはいる。 紅葉の時期ではあれ、あの不便な西沢にも人が来ているのは、けっこうショックです。 だだってここは、わわ、私の土地だというのに。 ただ登記していないだけで・・ 今日から道志の森は止水(凍結を防ぐため)。 気温はグッと下がってきています。 焚き火をしないことには、凍えてしまいます。 薪は、広葉樹がよい。 なぜなら火持ちがよいし、パチパチはぜたりしない。 ただその代わり、火点きは悪い。 私はできるだけボーッとしたいし、手間をかけたくない。 だから、細かい段取りを省けるよう、最初は炭を熾します。 炭さえ火が点けば、あとは太い広葉樹でも自然に燃えます。 この寒さ、ウイスキーのお湯割り以外には考えられません。 チーズも、冷たく感じてしまいます。 煙草を一服。 フーッ。 食べものは、もうナベしかないでしょう。 からだを暖めるものにしなくては。 #
by ryu-s1959
| 2019-11-14 21:38
| 随感
スマホは持ちたくない病を患い、キャッシュレスは怖い症候群に罹り、若者語はわからんちんウイルスに感染し、外食するときは慎重に禁煙のお店を避け・・、そんなのあんまりない・・、そのようにしているうちに、なんだか気づいてみれば街なかに私の居場所はすっかりなくなってしまったかのようです。 他にも重い理由はありますが、ハイ、順調に満身創痍であります。 かてて加えてお医者さまでも草津の湯でも治らないと言われる、持って生まれつちかった、今世紀最大の暗い性格の私。 これから私はどうやって生きてゆけばよいのだろう。 しかもこのあとも、いいことが起こりそうな気配は皆目なし・・ 快調に引きこもりヲッサンの道を歩んでいるようであります。 野心も野望もなく、夢も希望もなく・・(泣笑) せめてできるだけおだやかに過ごしたいという気持ちがありますが、それすらも許されそうにはなく・・ ******* 形あるものは、たとえノーベル賞であってもまぼろしのようなもの。 栄光や権力や富、名声も、ほどもなく霧散霧消してしまう、うたかた。 であるならば、自分の人生をジャッジするのは他の誰の評価でもなく自分しかありません。 では私は人生をふりかえってみてどうだろう・・ 生きづらい人生ではあったなァ・・ そうそう、理不尽なことが多すぎたんじゃないかなァ・・ いい思いをすることは、非常に(非情に)少なかったネ~・・ でも愉しいことも、確かにあった。 実りも多いと言ってよいのではないか。 そして一番大切なことだけど、いますぐ死んでも悔いはないこと。 なぜならば自分の人生に、少なくとも納得はできるから。 もっとクレバーな生き方をすれば、もっともっといい思いはできたと思うのです。 でも、誰が見てもフーリッシュな道を歩んできたわけで・・(もちろん、クレージーな生き方ではありません) また、人にはよく裏切られるけど、人を裏切ったことはありません。 そんな生き方は、ただただハートに従ったらそうなったということだけで、ひたすらまさにそれのみ。 たとえそれが負け戦とわかっててはいても、そこに人生を掛けなければならないこともあります。 そうこうした結果ではあるけれども(あるからこそ)、どんなに少なく見積もっても、満足はして逝けるとは思うのです。 人生、あまりクレバーばかりにやって多くの「成功」という認証を受けても、死ぬときは「自分がやりたかったことは違う」と言って悔やむことが多いと言います。 いい思いをすればするほど、死ぬときの満足度はダウンするんじゃないかなァともチョコッと思い・・(嫉妬かネ?) まァでも、さすがにラオウのように「一片の悔いなし」などとは言えなません(あんだけ人に迷惑かけて、ちっとは後悔しろとも思いますが)。 少しだけ欲を言えば、理不尽な思いはこんなにしなくてよいんじゃないかなァ、と・・ なので納得と満足はあるけど、同時にキビシイ状況であるのが紛れもない現実というところでしょうか。 結論として、私には「癒やし」がとても必要になってくるということです。 それはあるとしても、仄かでか弱い、一筋の光・・ しかして私のように弱い人間が求める癒やし、実はそれは古今東西どれも大した違いはなく、まさに、ただただ「現実逃避」ということに収斂されますナ。 ******* そう、唯一の私のいまの悦び、それは実はぼっちキャンプ。 なぜって、自然のなかで堂々と焚き火ができて、そのかたわらで酒が呑めて、吸いたいときに煙草が吸える。 しかも、食べたいときに食べることができる。 誰の顔色も、うかがう必要は一切ナシ。 へ?それが一筋の光かい? 情けない、っネ~~・・ ・・と思われるかもしれませんが、 これこそは一切の社会的しがらみから放たれる、現在考えられるただひとつの時空と言ってもよいかもしれません。 上げ膳据え膳とは違って全部自分で用意しなきゃですが、誰に気兼ねすることもなく、最初から最後まで自分の好きなようにできる、これなンです、私が必要としているのは! あり得ない話ですが、もしもピチピチギャルたちに、「私たちと遊びましょうヨ~ン」と誘われたとしても私の心は断じて微動だにせず、このぼっちキャンプだけは予定を違(たが)えることはゆめ許されず、万難を排して決行しなければならないのであります!! あ、でも、南沙織さんに誘われたらちと考えるかも・・
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by ryu-s1959
| 2019-11-07 22:32
| 随感
完全に後向きに生きている私は、昔のドラマなんぞを見たりしています。 それらを見てるとホッとするんですネ。 もちろん、多感な時期に放映されていたものですから、なつかしさもあるでしょう。 たとえばこのブログでも出てきた「飛び出せ!青春」などです。 数年にわたってようやく見終えた私は、なななんとこんどは「サインはV!」に突入しました。 「サインはV!」はよく、スポ根ものとして片付けられたりしますが、実際のところ、とてもよくできた人間ドラマです。 なにより人情にあふれている。 そのような人の情愛が下支えになっているからこそ、魔球が、より生きてくるのでしょう。 コーチも、ただの鬼コーチなどではなく、ひとりひとりと心をひとつにしながら指導をしています。 1970年前後に出てきたそれらのドラマを見ていていま感じるのは、超人的なワザなどよりも、まさに「温かみ」です。 人が最低限持っているであろう思いやりや倫理観が、登場人物には自然にそなわっていることも大きなファクターになりましょう。 私の小学生の頃の同級生の女の子たちは昼休みになると、バレーボールを持って、「ファイト!ファイト!」とかけ声をしながら走ったりしてました。 自分たちを朝丘ユミや鮎原こずえに投影していたのでしょう。 私は男の子ですからバレーをしたいとは思いませんでしたが、「サインはV!」は毎週見ていました。 もちろん戦争孤児のこととか、そんなことは全然わからなかったのですけど、やはり人間ドラマに引き込まれていったのでしょう。 いまはニュースを見てもどうにも殺伐としていて、ため息が出るばかりです。 嗚呼、このむなしさはなんだろう。
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by ryu-s1959
| 2019-08-17 21:33
| 随感
「飛び出せ!青春」と「われら青春」を見終わりました。 いやいや、何年越しでしょうか。 とりわけ「飛び出せ!青春」は、私の心に深い感銘を与えました。 そのドラマが始まったのは、私が小学校を卒業した春。 ときは学歴社会、まさに「終身雇用」と「年功序列」が約束されていた時代。 いかによい高校、大学に進み、よい会社に入れるかが幸福の指標であったと言ってよいでしょう。 そうすれば、生涯は保証されているという不文律があったのです。 ですから、学校の先生にはこんなことを言われたことがあります。 「青春の思い出だけじゃァ暮らしていけないんだヨ!」 確かにそのとおりです。 でも、私はサラリーマンにはなんの夢もなかったし、よい成績を取るためだけの勉強にはなんの価値も見出すことはできませんでした。 さりとて、他になにか自分がなるべきものも見当たりません。 当時私は、自分のこころがとても渇いているという自覚がありました。 うわべはフツーの学生でしたが、精神的彷徨と葛藤にさいなまれていた時期でもありました。 そんななか、「飛び出せ!青春」は、私の渇いたこころの大地に、あたかも水が浸み込むように潤いを与えてくれたのです。 何年もかけてあらためて観た「飛び出せ!青春」。 いま気づいてみれば、私は還暦。 あの頃、ただスネをかじっていたばかりの私の両親は、手の届かないところへ行ってしまいました。 小学校を卒業したばかりの私と還暦を迎えた私。 そこになにがしかの違いはあるのだろうか・・? あの、多感な頃の自分と、世の中の荒波を、溺れそうになりながらもどうにか泳いできた自分。 どうも、変わりがあるようには感じられません。 でもひとつわかったのは、青春の思い出だけでは生きてゆけないから一生懸命に目的の定かではない勉強をやり、大きい会社だからと入り、我慢しながら勤め上げることよりも、自分がときめく方へ舵を取り、喜びをもって溌剌と生きる方が人生は豊かになるということです。 たぶん、私は成長がないのだと思います。 でも、もしかしたらそれでもよいのかもしれない。
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by ryu-s1959
| 2019-07-24 22:07
| 語録、あるいは覚書
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