春におかしくなる人がいなくなった・・?

昔からよく、「春はおかしい人が出る」と言われてきました。

これはお客さんの昔話ですが、春になると厚化粧して、どピンクっぽい頬紅をして(おてもやんですな)、それでマシンガンのようにダーッとおしゃべりするようになっちゃう女性がおられたそうです。
まァ実害はないっちゃないんですけど、やはり怖かったようで、思わず後ずさりをしてしまったとのことでした。

でも、気のせいか、最近はなかなかお目にかかりません。
ではなぜ、あまり見なくなったんでしょう。

もしかして、近年は季候の変化が不安定だったりするからでしょうか。
でも私がもうひとつ思うのは、時代に先行きの見えない閉塞感があるからじゃないかなァ・・、ということがあります。

*******

いまは、「一億総活躍社会」などど言います。
それって、「年金はアテにしないでネ」というメッセージにも思えます。

高度経済成長、安定成長の時代をとうに過ぎ、いまは正規の社員だって定年まで会社に居られる保証はありません。
まァ私のような吹けば飛ぶよな様態の仕事よりはマシか・・?

要は、会社も信頼できない、国も信頼できない、いつなにがあってもおかしくないわけで、そしたら楽観的にホイホイとモノなんて買ってなんてらんないですよネ~・・

つまり春になっても、手放しで浮かれてられない・・、そんな時代環境もあるのかなァと・・
そしてそれと同時に、人心も乱れてきているのではないか。

*******

世事に疎い私でも、いやでも耳に入ってくるのは、あざとい不正や不倫にセクハラ、それにパワハラモラハラ、詐欺に脅し・・
だいたいスカートの中を盗撮して捕まるのはまず警察官ですしね、あ、お医者さんもいたかな・・、
こんどはなんでも牧師さんがストーカーやったとか・・
もう心がほっこりしまくりです。

そうそう、実は私の家だってスゴいですよ、奥さん!

私なんざァ色白の未成年の女性の胸やお尻をさわりまくっています。
ネタをバラせば相手は3歳になる白文鳥ですが、セクハラには違いない。

ちょうどいまは換羽期で羽がけっこう抜けて、おいたわしい姿になっています。
そこで・・、
「このハゲ~!」
「違うだろ~!」
モラハラの嵐・・

しかしウチの子はそれだけセクハラパワハラモラハラを受けても、なぜかいつも私からいっときも離れないのです(人間の女の子でそんな子がいてモテモテだったら、もしかしたら私の人生ももっと変わっていたかも・・、と無駄な妄想をしたりしますが・・)。

しかしながら私から離れないということは、ずっとつきまとってるということでもあり、しかも腹が減ると私を喰おうとします。
なので私は彼女を、DVストーカーと呼んでいます。

いやいや、ウチウチ、ウチはレモンガス・・、ではなくてウチはセクハラもパワハラもモラハラも、DVもストーカーもある明るい家庭なんだなァと。
今日も彼女に噛まれて痛い思いをし、阿鼻叫喚のほがらかな毎日であります。

はい?
ほかに余罪はないかですって?

刑事訴追の可能性がありますので、コメントを差し控えさせていただきます!

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# by ryu-s1959 | 2018-04-18 15:48 | 随感

人生で大切なことは「飛び出せ!青春」に教わった

以前にも書いたことがありましたが、当時は高度経済成長を経て「終身雇用」、「年功序列」が約束されていた時代でもありました。

「一億総中流」が当たり前で、一般には生活に困るような事態は考えにくい時代でした。
そのなかで、いかによい人生を送るかという課題として、
「勉強でよい成績を取り」、
「よい大学に入り」、
「よい会社に入る」、
これが当時の人々の暗黙のなかでの「人生ゲーム」のルールでした。
しかしそれは、なんとも味気ない、パサパサとした潤いのない世界としか私には感じられないものでした。

「飛び出せ!青春」はそんななかで、乾いた大地に水が染み込むように私のなかに浸透してきました。
そのドラマを見ると、心に栄養が与えられた気分になったものです。

ただし逆に、もしかしたらそれは「勉強でよい成績を取り」、「よい大学に入り」、「よい会社に入る」、というコースからドロップアウトした者の負け犬の遠吠えではないか、という危機感もまた、ありました。

しかしいま思うのは、それは間違いではなかった、ということです。
「社会的な成功」がそのまま「人生の成功」とはならないこと。
いまわの際で思うのは、少なくとも社会的成功が冥土への土産とはならないこと。
年を重ね、そういったこともわかりました。

「損得で生きるのは虚しい」
「利益が出ようが損失が出ようが、納得するまでやること」
「人の喜びを自分の喜びとし、人の悲しみを自分の悲しみとする」
究極的には、「魂のおもむくままに生きる」、これが大切なのでしょう。

私はこのドラマから、そういったことを学びました。

ブルーレイDVDで5巻、これを1年ほどかけて2巻まで見終わりました。
先は長い・・

*******

そして、あの伝説の「サインはV」
クラスの女の子たちは「稲妻落とし!」とか言いながら、後向きになって右手をぐるぐる回してサーブをし、ボールはあられもない方向によく飛んでいました。

これは清水の舞台から飛び降りるくらいの勢いで、やっとの思いでDVDを手に入れました。

「サインはV」で思い出すのは小学生のころ、家族ぐるみで旅行に出かけたあのとき、その旅行先でお祭りがあったときのことです。
しかしそれは「サインはV」が放映される日でした。
しかもジュン・サンダースのクライマックスの日。

3つ下の女の子がいて、彼女は「サインはV」を見ると言います。
しかし私と同じくらいの年の男の子2人はお祭りに行くと言います。

く~っ!お祭りだからナ~、オイラも行きて~ゼ!
結局私はホイホイ誘惑に負け、お祭りに行ってしまいました。

帰ってから彼女から、サインはVがどんなふうだったかを聞きます。
や~、やっぱり見たかった・・

・・あれからほぼ半世紀。いまでもそのときのことは覚えてます。
「サインはV」、これも絶対にリベンジで見なければなりません。
んん?、そこのアナタ!アキれてるでしょ。

*******

しかし、「飛び出せ!青春」を見たら、そのあとにやっていた「われら青春!」、次はこれを見なければなりません。

そうそう、いまTVKで「傷だらけの天使」をやっていて、これを録画しています。
これも見なきゃァ!・・
「フ~ンフ~ンフ~ン、アニキ~、オレ怖いよ~・・」(by水谷豊アキラ)
「お~さ~む~ちゃ~ん・・」(by岸田今日子センセイ)

ということで、ぜんぶ見終わるのは、いったいいつになるのやら・・

*******

はい?
ええ、完全に後ろ向きに人生歩んでおりますが、何か・・?
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# by ryu-s1959 | 2018-03-26 22:09 | 随感

ペヤングは前の方がいい

といっても、味のことではありません。
いわゆる、パッケージのことですネ。

前は、プラのフタがついていて、フタを外してお湯を注いでいました。
私は、こちらの方が断然よいです。

なんだか虫が入ってたとかで、他のメーカーにならって紙を貼り付けるようになってしまいました。
しかし、それでは重大な支障が出てしまうのです。

ペヤングには「かやく」という、お湯を注ぐ前に入れる袋がついています。
これを麺の上に開けますと、お湯を捨てるときに、いくつかお湯といっしょに落ちてしまうのです。
私にはそれがたいへん勿体ない。

ですので以前のときは、まずフタを開け、それから麺を取り出してフタの上に置き、そしてハコの底にかやくを散らします。
そうしてその上に麺を置き、お湯を注ぎます。
こうするとお湯を捨てるときに大事なかやくはほとんど落ちません。

先日、ハコの上の紙をできるだけ剥がし、それから可能なかぎり麺を浮かせ、その間にかやくを落とそうとしてみました。
結果、かやくの袋を支えていた手が勢いあまってかやくを若干、こぼしてしまいました。

う~む、くやしい。

あ~、昔の方がよかった・・
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# by ryu-s1959 | 2018-03-06 20:41 | 随感

オレってグレート・・?

や~寒いですな。

私の場合、外に出れるのは早朝だけですので、5時前後、外を徘徊しています。
このところ、だいたい氷点下ですな。
これで私も、やがて立派な徘徊老人になれるのではないだろうか。

とまァ相変わらずおバカな話はさておき、このところの寒い日々、私の暖房器具はどのようになっているのだろうか。
これが奥さん、湯たんぽオンリーですよ。

もちろん、仕事でお客さんが見えるときはエアコンかけますよ。
乾燥するので、加湿器もかけますよ。
でも仕事以外で、エアコンかけたことはまずないです。
私は湯たんぽオンリー。

ん~、オレってグレート・・?
や~相変わらず安上がりな仕上がりになっております。

湯たんぽ抱きかかえていれば、なぜか幸せになれるのです。
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# by ryu-s1959 | 2018-01-29 20:54 | 随感

目の輝き

南米ボリビアのラパス。
通りすがりのボール遊びをしていた子どもたちにインタビュー。

サッカーのうまい子。
「将来はサッカー選手になって、貧しい子どもや女性たちを救いたい」
彼はそう言って、涙を浮かべます。

別の子。
「専門職について弟たちを助けたい」

他の子。
「建築家になって、壊れている建物を直したり、色を塗ったりデザインしたい」

みんな自分のためではなく、誰かのための夢を持っている。
彼らは志を持っていて、目が輝いている。
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# by ryu-s1959 | 2018-01-15 21:07 | 随感

オイラのハートがNOと言う

しらばくご無沙汰いたしました。

いえネ、(仕事以外でも)忙しかったのとYouTubeにハマってたのとで、更新が滞ってました。

しかしナンですナ、子どもが新しいオモチャを買い与えられて夢中になって遊ぶように、YouTubeで遊んでおったような塩梅で・・
しかも遊ぶのはタダ、ただビデオカメラを固定する三脚が必要でしたので、巨額の設備投資、約1800円也を費やしましたが・・

・・というわけで私のブログの70億読者には、たいへんお待たせいたしました。

なになに、オイラのハートがNOと言う?
なんかカッコいいんですけど・・

や、ジツは全然カッコいいもんじゃないのですけどネ。
何故かはわからねど、私は自分のハートがNOと言いますと、ホントにすべてNOになっちゃうンですね、なぜでしょう。

*******

私のご幼少のみぎり、5歳のときだと思います。
その頃、ピアノを習う子はけっこういたんですね、だいたい女の子なのですけれども・・

近所の仲良しだった友美ちゃんが始めたので、「友美ちゃんがやるんだったら自分もやる~」な~んて言ったんでしょうね。
かくて、私はピアノを習うことと相成りました。

まずはバイエル、最初はドレドレド~、みたいな感じです。
しかしだんだん音符が多くなってきます。

ピアノを弾くためには楽譜(要は音符)をぜんぶ読まなくちゃいけないことに気づくのには、さしたる時間はかかりませんでした(当たり前ですが)。

「そんならそーと早く言ってヨ~!」
「そんなの聞いてないからネ!」
と思いました。

や、自分にはムリムリ、そんなのやってらんない。
私は、すぐにやめると言いました。
ところが両親にとってみれば、ピアノだって安いもんじゃないし、「ふふ、ふざけんな~!!」という感じだったのでしょう、やめさせてなんてくれません。

バイエル、ブルグミュラー、ツェルニー、ソナチネなど、教則本が並びます。
ところが私のハートは、すでにNOの診断を下しています。
「ピアノのおけいこ」に対して、確固たる拒絶反応を呈してしまいました。

や、意識としては親の言うことを聞いて、親を喜ばせるために「やらなくちゃ」という気持ちはあるのです。
私は幼い頃であっても、人一倍親に報いたいという気持ちはとても大きかったと思います。
されど、されどからだが全身全霊、言うことを聞かないのです。

家で練習するとき、ムリしてやろうとしても、一向に前に進みません。
これには母親も、もどかしかったでしょう。
イライラが伝わってきますし、しょっちゅう怒られます。
怒られると怖いですから必死で謝るしかありません。
「一生懸命やります!」となだめるために平身低頭です。
しかし、からだは尚、頑として言うことを聞いてはくれません。

いつしか私はピアノの椅子に座ると、めまいがしてくるようになりました。
「目がまわる~」と言っても、通常そんなことあるわけないですから、そんなことでは容赦してくれません。

ピアノの練習は、あたかも地獄のようでした。
毎回、泣きの涙です。
当然のように、進みません。

ピアノの先生と母親との会話では、こんなものがあったそうです。
「龍太くんはネ~、才能はないみたいだけどネ~、せめてソナチネくらいはね~」

そのソナチネも、けっこう音符があるもんですから、まァ進まない進まない・・
私よりも年下の子が、流ちょうにソナタアルバムなんぞやってますので、さらにコンプレックスも上乗せされました。

私のピアノのおけいこ嫌いはもはやここに極まれり、という感じでしょうか。

*******

私は自分のハートがNOと言いますと、どんなに頑張ってもできないようです。
ネ、カッコよくないでしょ。

でも、YouTubeを聴いた方は、
「や、それでもかなりやることはやったんでしょ~?」と言います。

いえ、やっておりません。
やろうとしてもできないものですから・・

ただし、音楽はとても好きでした。
TV主題歌や歌謡曲、カンツォーネなど、たいへん心惹かれました。
唯一「ピアノのおけいこ」、これだけが受け入れがたいものでありました。

私は小学校を卒業し、ようやく晴れてピアノのおけいこをやめることができました。
この開放感といったら!
私はもう、鍵盤を見るだけでも嫌悪感が拭えない状態になっておりました。

*******

私が本当にピアノに目覚めたのは、高校生のときでした。
バンドを組んだのです。

当時はいまとは違い、バンドを組む人はまれでした。
「自分は将来、プロのロック・ミュージシャンになる!」そう、心に決めました(クラシックはもうこりごりだったので・・)。

実は私はピアノは下手くそでしたが、音感は小さい頃から飛び抜けてよかったのです。
ですから、ある程度楽譜を見なくても、コピーができました。
自分、もうこれで、このままでいけばいいんじゃないか・・?などと思ってもおりました。

ところが、です。
クラシックは難しくてロックは簡単と思っていた私は、「イエス」や「エマーソン、レイク&パーマー」を聴いて認識を改めざるを得ませんでした。
いやはや、それらの音楽はものすごい高度な技術を必要とします。

もはや耳だけで聴いてもコピーが追いつかないので、楽譜も買い、読みました(不本意ながら)。
指のポテンシャルを上げるために、最高難度のクラシックもやりましたし、自分なりの指の鍛錬もやりました。
そのときは、まるで鬼のように練習をしました。

ただ特筆すべきは、そのときの私は誰かにやらされたり、誰かの顔色を窺ってやっていたのではなく、ただ自分自身のために夢中になっていたというだけで、もはやハートのNOはあとかたもなく姿を消し、いや、逆にのめり込んでおりました。

自分のことをただ情けない存在としてしか思っていなかった私が、ようやく水を得た魚のように、生き生きと泳ぐことができるようになったのです。
それはあたかも乾いた大地に水が滲むごとくでした。

私は誰に習うこともなく、恐ろしい勢いで上達をしました(たぶん)。
音符ひとつ読むのも鍵盤をひとつ押すのも嫌だった私が、自分から進んで指をしごいたわけです。

そう、高校生だったあの頃、私のハートはもう全開、イケイケドンドンだったのです。
や、ついこのあいだのことなのですけどネ・・?

*******

私の時代は終身雇用、年功序列が全盛でした。
学歴重視の風潮が根底にあり、少しでもよい学校に行き、少しでもよい会社に就職する、これがよい人生を送るための前提という認識が、おそらくすべての人々に通底していたというふうに感じられます。

さて、では、そのためには、なにはなくとも勉強です。
テストで、少しでもよい成績を取らなければイケマセン。

ところが、です。
ここでも私のハートはNOと言います。

イイクニ鎌倉、1192鎌倉幕府成立・・
こんなことを覚えたって、なんの役に立つんだろう?

歴史をやったってなにも実感がともなってこない、地理をやったって、その地の人々がなにを想い、なにに悩んできたかが何も伝わってこない、算数や数学、理科や化学をやったってなにに役に立つのかわからない。
生きた学びの感覚がなにもない、殺伐とし、荒涼としたのっぺらぼうの平面ばかりが感じられました。

でもそれが当たり前の世界であり、その環境に順応することが将来のためには必要であり、しかしてそれがために感覚を鈍磨させることが最重要課題!
いやや、そんなことは、自分には到底できそうもない・・

ところが日々思うのは、みんな表には出さなくても将来のために勉強している、自分も絶対やらなくちゃイケナイ!ということばかり。
しかし机には向かうものの、すべて頭を素通りしていく・・

親も私をもどかしく思ったと思うのですが、自分でも情けないくらい勉強することができない。
授業の体制や教諭の教え方の問題も、もちろんあると思うのですが、当時の勉強の内容には、全身全霊で拒否反応がありました。

*******

小学生のとき、先生などから「清水くんの両親は東大なんだから、頭悪いわけないのよ」などと何度となく言われたりしました。
これもたいへん嫌悪感がありました。
私のコンプレックスに、さらに輪を掛けるものとなりました。

トーダイと言われても、ピンときません。
聞くと、「日本でいちばん頭のいい人が集まる学校」というようことらしい。
自分には、トント縁の無い世界にしか感じられません。

母親が、「学校でテストがあるのが楽しみで仕方なかった」などという言葉を聞きますと、どうかしてるんじゃないかと思いましたが・・
でも、毎回テストでいい点を取る生徒もいて、そんなにいい点ばかり取れるんだったら楽しいかもしれないなァとも思いました。
しかし、そうなるすべが私には皆目ないのです。

親や先生からどんなにハッパをかけられても萎縮するしかない自分だけがあり、そんな自分が哀れで、また親にも申し訳ないという気持ちがいつも、ありました。

*******

いまは、すべてわかります。
私のハートはNOと叫び、全人格を賭して拒否をしていたのです。

これは一見、サボっているというふうにも見えるかもしれませんが、おそらく違います。
なぜなら、あんな辛い思いをするなら努力した方が何倍もラクだと思うからです。

言葉を替えて言えば、社会適合能力において著しく劣っている、ということにもなりましょうか・・

でも、モチベーションがあれば、そんな私でも力を発揮することがわかりました。

プロのロックミュージシャンを目指していたとき、私は輝いていました(たぶん)。
会社に入って書店の棚で時代を表現しようとしていたとき、出版社の人にも作家にも、そしてお客さんにも大きく支持され、売上も大幅に伸びました。

一方、楽しくないピアノを習っていても、魂に響いてこない勉強をしていても、ただ人の評価や管理をするだけで志のない仕事をしていても、どうにもからだが動いてくれません。
それは、私のハートがNOと言っていたからなのです。

いま、私は自分のハートがNOと言うことはやりません。
もう、そんな生き方をしても赦されるでしょう。
これは仕事でもそうですし日常生活でも同じです。

会社員時代、不本意なこともしなくてはなりませんでした。
企業は当然、営利が目的です。
給料をもらう立場ですから、そのためにはあざといことだってやらなくてはなりません。

いまは仕事において、不本意なことはなにひとつやらずに済みます。
儲けを犠牲にすることも、あります。
あざといことなど、一切やらずにいてもどうにかなっています。
精神衛生上、とてもよい。

いま昔日を思い返してみれば、損をすることがわかっていても、どうしてもやらないではおれないことも、いくつもありました。
そんなことさえしなければ、もっとお金は貯まっていたでしょう。

しかし時が経ってみれば、その行動があったために心の平安があります。
心の平安、これはお金には換えられません。

ハートの声、それは自分自身の魂が迷わないために、安全に航行できるために教えてくれる羅針盤のようなものなのだと、いまは思います。

*******

最近はYouTubeなんぞやっておりますが、実はあれはほとんど演ったことのない曲ばかりです。
演ってみたいな~、演ったら愉しいだろうな~、というものだけ演っています。
ですから久保田早紀は演るけど「異邦人」は演らない、五輪真弓は演るけど「恋人よ」は演らない、なんて塩梅なのです。

やりたくないことはやりませんから、絶えて楽譜を読むなんてことはなく、練習なんかは録画一時間前の音合わせだけです。
もちろん、もしも自分がプロだったら楽譜も読みますし、練習だって進んでします、それはプロとしての責任ですから。

いまの自分の生業は整体ですから、自分の持つエネルギーはそちらにすべて捧げます。
ただしこれとて、口をへの字に曲げて苦悶の表情を浮かべてやるのではなく、屋号のごとく、愉快に調和することが前提であり、究極の姿であるべきものです。

というわけで音楽にかけるべきエネルギーは残っていないというのも一面真理ですが、プロではない分、愉しく演奏できるのではないか、とも思うのです。

さらに言えば、僅かばかり残った狭小なエネルギーを使って演奏しているということはサラサラなく、逆にエネルギーを湧かせるために音楽をやっていると言ってよいとも思います。

つまり生業とは抵触しないのです。
むしろ高め合うことができるものと言ってよいでしょう。

ときに、愉しく演奏するには、執拗な練習はかえってモチベーションを下げてしまいます。
もちろんプロであれば練習は必要でしょうし、売上や社会的評価を気にしなければなりません。
それはただに、プロの愉しくない部分でもあります。
愉しくなくてもやらなくちゃイケナイ。

私は愉しくないことは一切しない。
ですから、愉しさという意味では、プロのパフォーマンスを凌駕する場面だってあるのではないかと、ひそかに思ってもおります。

私は、愉しいふうにしか(音楽でもたいへんなことでも易しいことでもなんでも)やらないでしょう。
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# by ryu-s1959 | 2018-01-03 21:35 | 語録、あるいは覚書

セルフ・セービング・フォース

テキトーな造語ですが、訳しますと、「自分を守る力」ということになるかと思います。
これには、ざっくりとふたつの側面があります。

ひとつは、これは誰もがわかると思いますが、「経済的な力」です。
財力で自分を守ることができる、これはたいへん心強いことで、もちろんこれはこれでとても大切な事項です。
しかし、これがすべてだと勘違いすると、可笑しなことになってしまいます。

たとえば、小さいときから勉強を仕込まれ、よい成績を取ってよい大学に行き、よい会社に就職する、というような理想のコースがあります。
目標としては、社会的地位の確立と潤沢な経済力ということになりましょうか。

周囲の期待に応え、よい会社に入り、順調に昇進して、きれいな奥さんをもらい、利発な子どもをもうけ、誰もがうらやむ家庭環境を築くかもしれません。
そのように社会的に評価の高い地位と立ち位置につくことにより、さまざま社会的問題に対して解決する力をはぐくむことができるわけです。

ところが、です。
得てして、そのように順風満帆な人生を送ってきた人ほど、はじけたりしてしまいます。
ある日、置き書きで、
「旅に出ます、探さないでください」
な~んて。

これはどういうことかと言いますと、要はその人は、「自分の人生を生きてこなかった」のです。
社会的な上位を目指すことに終始し、自分自身に落とし前をつけることを怠ってきたというわけなのです。

よく、成功者が晩年に、「自分はこんな生き方をしたかったンじゃない」ということを口にすると言います。
皆が認める成功者が、人生に後悔をするのです。
これはつまらない。

*******

ではもうひとつの「自分を守る力」とはどのようなものでしょうか。
それは直裁に言いますと、「自分がしたいことをする力」ということに尽きます。

「自分がしたいこと」とは、あくまでお金を湯水のように遣うというようなレベルの低いことではありません。
贅沢をするというような低次元の事柄ではなく逆に、まさに「自分の魂が望むことをする」ということ以外のものではありません。

たとえば「自分への投資」ということがあります。
自分がしたいことをする人というのは、自己投資に力を注ぐ傾向があります。
これは一見、ムダなことのように思えたりすることがあるのも事実です。

映画を観まくる。
利便性のある場所に住んでいるにもかかわらず、お金はかかるけれども敢えてひとりで暮らしてみる。
人が注目しないことに熱中する。
世界を放浪する。
いささかも得することはあり得ないけれども、惹かれて身を投じる。
損するとわかっていても、やらないではおれない。
などなど・・

周りから見れば、あるいはバカな人間かもしれません。
しかしながらこうした生き方をしてきた人ほど、人生に対する満足度は高く、後悔は少ない。

*******

もちろん、バランスは大切ですヨ。
自分の好き勝手放題やってきた挙げ句、自己破産してしまえば単なるおバカちんです。

さりとて向こう見ずに行動することが必要となることもあるでしょうし、計画も立てた方が実現が近づくこともあるでしょう。
ただしやはり計算高すぎると、魂の望むものを見る目が曇ります。

そこはそれ、魂からの直感を感じることが第一ということなのでしょうか・・
後者の方は、「自分の魂を守る力」といってよいのかもしれません。

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# by ryu-s1959 | 2017-11-20 21:27 | 語録、あるいは覚書

愉和 音楽館 新曲アップ

私のブログの一億読者のうち、数名の方は待っておられたのではないでしょうか・・(?)

*******

ときに久保田早紀、この名を聞いて「異邦人」を思い起こす人は多いでしょう。
しかし、他の曲を思い出す人はなかなかいないのではないでしょうか。

彼女は現役時代、アルバムを7枚出しています。
実は、私はすべて買いました。
あの、久保田さんのエキゾチックでロマンチックな世界のファンなんですね。

本当は、彼女には名曲がザクザク隠れているのです。
そのうち、ほんの2曲ほどアップしました。

*******

また本日は、父親の七回忌となります。
父を想って即興をやりました。

ホンの少しでも供養になればよいのですが・・

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# by ryu-s1959 | 2017-10-25 15:36 | 随感

ロールケーキについて、一家言持っちょります

私がご幼少のみぎり、いちばんの天国を味わえるのは、不二家のモンブラン、もしくはショートケーキでした。
でもそれらは、例外中の例外。
日常的にそれらを食べるということに、あまり現実性はありません。

私が手に入るMAXイクスペンシブのスイーツ、それはチョココロネ、もしくはチョコデニッシュ。
メジャーなのはコロネですが、ジツは私としてはデニッシュの方が食感的に好きでした。
なにはともあれ、これでも充分なご馳走。

しかしたまさかヨックモックのシガーなぞ、どなたからでももらえたもんなら、「ウッヒョ~!」と、飛び上がるほどうれしかったものです。

しかし取り急ぎ、いまはロールケーキのお話です。

*******

いやいや、ヲッサンは近頃嘆いちょります。
は?なんでかって?
ロールケーキのことですよ、これは深刻な問題です!

なんでも最近は、ドーナツのごとく周縁がカステラがただ一層になっており、真ん中の穴にはクリームがドボッと固まってあるのが流行ってるそうな。

イカン!
それはイカンですよ!

それだったら不二家のショートケーキの方が、イチゴもあるし、いいじゃァないですか!
カステラを固まりで、クリームも固まりで食べて、それで貴方はいいんですか!?
・・まァそれでも確かにそれなりに美味しいでしょうヨ。

でもネ、1㎝ほどのカステラが渦を巻いていて、その際(キワ)に薄くクリームが塗ってある、、、そうそう、これです、これなんですヨ!!
クリームがダボッと口に入る、これは風情がありません。
あくまでカステラが主食であり、クリームは副食なのです。

ロール状になったカステラをチマチマと剥がしていく感覚で、さらにそこに薄く付着しているクリームを一緒に食べる、ここ、これこそが典雅なるロールケーキの醍醐味、そして白眉ではないですか!
そこでヤマザキのロールケーキですよ。
残念ながらいまはもう、見かけることもありません。

そう、あの外縁は文明堂のカステラの上に張り付いているような茶色のものがついていて、中はカステラ、そうして幾重にも巻かれたカステラのあいだに、薄く塗られたクリーム。
これこそが最上のロールケーキ!

いわゆるケーキという高級食材という分類からは離れ、意外と庶民的で手に入りやすい面もあるけど、さりとて物凄い美味しいロールケーキは、私にとって大ごちそう。
往事、あのヤマザキの袋を見るだけで私の脳は、もうアルファー波が出まくりでした。

*******

いまは子どもたちでもケーキなぞというものは、ただのおやつの一種かもしれませんが、私というヲッサンのご幼少のころは、とてつもない喜びの食べものだったのです。
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# by ryu-s1959 | 2017-10-24 18:40 | 随感

すべてはアレルギーなのか

アレルギーの本質、それは「過敏になって混乱する」ということです。

しかしてその実態は、A地点にいる人が引っ張って、B地点にいる人が引っ張られて困惑(過敏になって混乱)する事象です。
それはある意味、すべての病気症状に通ずるものでもあります。

*******

腰痛は、どこからか引っ張られて腰に歪みが生じ、過敏な症状が出ることを言います。
肩こりは、やはり引っ張られて肩に張りやコリが生じることを言います。
心臓病も、同じく引っ張られて心臓に圧迫が生じることを言います。
ぜんそくは、胸骨が引っ張られて気管支が過敏になって混乱することを言います。
自己免疫疾患、これは免疫システムに圧迫がかかって細胞が混乱してしまう状態を言います。
頭痛も、頭部にテンションがかかってこわばって過敏になったために起こります。
膠原病も、生体システムにテンションがかかって血液に炎症が起こったり、結合組織が過敏になって混乱することを言います。
ガンも、細胞組織にテンションがかかって過敏になって混乱することを言います。

してみますとある意味、すべてはアレルギーなのではないだろうか・・
逆に言えば、引っ張っている大本を正せばよいというお話にもなりましょう。

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# by ryu-s1959 | 2017-10-23 18:23 | 整体のこと